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青いけど、変えられない。
下の記事以外は去年のものです。お間違えなく(笑)。
ずいぶん安易な日本語で、どストレートに書いてるなーと思うけど
誰かに伝えるなら、これでもストレートさは足りないんでしょう。

ふぅむ。そう。今日ちょうど月のものが終わって
パッと外に出たら、すべてのものが愛おしく思えたんです。
心も体もデトックスできたみたいです。やっと。やっとか。
そんな今日は、父の多分15回目の命日です。14?
毎年しんみりバドワイザーとビートルズとマイルドセブンで弔うんだけど
今日は何故か愛しい男も一緒に弔って(※死んでません)2時間だか3時間泣きっぱなしです。
悲しいとかじゃなくて、申し訳なくてね。
ほとんどあたしが壊したようなもんだから。

とりあえず前哨戦で鏡月を1本空けて
梅酒を2杯飲み
父の大好きだったマイルドセブンを1本吸って
父の大好きなバドワイザーを
1本大事に飲みました。
別に悲しいわけではなくて、父が大好きだから。
ただ、それだけなんです。ほんとに。
ちっちゃーい頃に教えてもらったビートルズを一緒に聴くんです。
ただ、それだけなんです。今日という日は。

うちの社長にもたまに訊かれるんだけど
あたしの父はどんな人かって。
あたしを男にした感じだと思ってもらって間違いはないです。
身長を186cmまで引き伸ばした、メガネをかけたあたしだと思ってもらえれば間違いないです。
最近見た目が母親に似てきたとのうわさがありますが
あたし、父親似です。ほんとに。

天パだし猫背だし細いのか太いのかよくわかんないし
よく笑ってよく飲んでよく怒ってよく読みます。
誰にでも優しいし自由だし何考えてるかよくわかりません。
同じ本を何じゅっかいも読みます。他人に対してあまり怒りません。
けどだらしなくて異性にも自由です。よく喋りますが下品なことは言いません。
要領がよくて何でもできるように見えます。でもすっごく不器用です。
何より文章を愛し、人間を愛します。音楽も好きです。

それがあたしと、あたしの父です。

しかし、よく人に言いますが、あたしは父がいなくなって寂しいと思ったことはありません。
それは父がいなくても平気、という意味ではなくて、母がスーパーマンすぎるのです。
母はすごい人です。ホンマに。

父が闘病した5年間のことは前にも少しだけ書きましたが
母は父がいたときから、ずーっとかけずり回ってました。
私たち姉弟を真綿につつみながら、風の日も雨の日も雪の日も涙を笑顔に変えて働き続けました。
もちろん、今も。ずっと走り続けて私たちを守ってくれています。ありがとう。

いささか、お酒が入って文面が軽すぎる。
腹立つけどこのまま続けます。もー。だめだなぁ。

父は不思議な人でして。
幼い私に買ってくれた子供用の電子ピアノってかキーボードの鍵盤に油性マジックでドレミとカタカナで書いてくれたのは
いいんですが、なんでかソ ラ シ の鍵盤の上にド レ ミ って書いて母に本気で怒られてました。
「これでいいんだ!」って言い張ってましたけど。もちろん間違って書いたわけではありません。よくわかんないね(笑)。

父は手が綺麗な人でして。
前にも書きましたが、父以上に手が綺麗な男性に出会ったことはありません。
あたしの手は少し父に似ているので、それを誇りに思って今日も文章を書いています。

なぜ
私が新聞記者になったかというと。
あんまり人に言いたくないんですが。言わないんですが。
いつもは「父も母も新聞記者だったので」と答えるんですが。
ほんとは少し違うんです。

あたしは、新聞というものが嫌いです。
まったく物語性がないし、ものごとの結論が文章の先頭にきて、美しさのかけらも無いからです。
しかし新聞読者が求めているのは手早い、正確で濃密な整理された情報なわけで
余韻やときめきや心の動きではないわけです。

しかし文学を愛する私は、どうしても新聞が好きにはなれませんでした。
なんか意味あんのかこれ、とさえ思いました。編集の仕事についてからも。
そんな私がなぜ、新聞記者になるために夜も寝ずに血反吐を吐きながらエントリーシート何十枚もを書いていたかというと

父の見ていたものを、見てみたかったからです。
マスコミ、仕事、情報を扱うってことをナメてんのかテメーってオトナに怒られそうですが。
私には私の信念があります。

父は生前、私たち姉弟に、一遍の詩を残しました。
その詩の一節に「あなたたちの瞳には これから 汚いものも 美しいものも 映るでしょう」
とあったのを私は覚えています。
汚いもの って何だろう、美しいものって何だろう。
葬儀のあと、その詩を読んでくれた母の声を聴きながら、私はぼんやり考えました。
そのぼんやりは、しばらく続きました。
ぼんやりしたまま、父の死後、毎日、寒い父の書斎で、父の好んだ本を読み、父の愛した音楽を
ひととおり聴きました。小学4年の冬、父の死後2週間かけて父の言葉を探しました。
だけどすべてが空虚に響きました。知識は何も語りかけてはくれませんでした。
時が経てば経つほど、父の残してくれた詩がおとぎばなしのように思えてきて
時が経てばたつほど、父がどんな人であったか何も知らない自分に気づいていきました。

おとうさんって、どんな人だったんだ?

そんな漠然とした疑問がぼんやりと私の頭のどこかに張り付いて
しかしそれは、私が大人になるにつれていつのまにか姿を消していたのですが
無意識よりもっと奥の下のほうで
しっかり息をしていたようです。

おとうさんの見ていた風景を、あたしも見たい。

就職活動中は、なんで新聞記者になりたいかわかりませんでした。
ゆくゆくは小説家になれるよう、鍛錬の一環として
とにかく記者の経験をつむべきなんだとばかり思っていたんです。


だけどどうやらそれは、私が自分で勝手にでっちあげた
外面の良い理由だったみたいです。

ある年、去年か、一昨年か
長期休暇で地元の街を歩いていて
ふと目線を上げると、映ったのはなんの変哲もない一本の木に繁る葉っぱ。
だけどそこには優しい風が吹いていて、時間はゆっくり流れ
新緑の隙間からは、太陽の光が射していました。
「いい街だな」と息もおだやかに
「お父さんも同じように、こんな風にこの風景を愛していたんだろうな」と思ったんです。
そう思うとすぐに頭は回転して
「おとうさんの見ていた風景をもっと見たい」と答えを出しました。
なにげない一瞬でしたが、私に大きな決断をさせてくれました。


私は、父のことをほとんど知りません。
どんな学生時代を送って、どんなものを持ち
どんな思いで記者をしていたのか、まったく知りません。
けれどこの目も、この手も、すべて父と、父が愛する母がくれたもので
まぎれもなく、父の想いが詰まったものなんだと信じています。
あたしの両手は父の手で、私の両目は父の目です。
身長は30センチも違うから、高さは違えども
父の見ていた風景は、ちゃんと見ることができると信じています。
いつか父の見ていたその美しいもの
汚いものをきちんとこの目で見、

父の代わりに、紡げなかった言葉たちを私のこの手で
きちんと編んで、誰かに、みんなに、愛しい人に
ちゃーんと伝えて、生きたいと


思っている、記者3年目のまりんちゃん、なのです。




























 
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