ケツ叩かれないとデキない私のこと。
嫌いです。ほんとにだっきらいなんです。
なんでやるべきときにできないんでしょう。
わかっててやらないからね。最悪だ。
ギリギリアウトラインを踏んでから力出したって
努力には勝てないってのに。
私の本気はいつ出るんだろう。
実習中だってもっとできた、もっとできたはずなのに。
いつ私は自分のことが愛せるようになるんでしょう。
褒められて悩む生徒がどこにいんだよ。
あたしは生徒じゃないけどさ。
異常に扱いにくい実習生だったと思います(笑)。
支離滅裂だな。
つまりは単純に、あたしが素直じゃないってことです。
そのくせにへんなとこ天然みたいにすっぽ抜けるしね。
予測不能すぎる。
「できそうに見える」らしいからまた困る。
かけられた期待をコントみたいに裏切るのが得意すぎる。
くそっ。詰めが甘いんです。
そう、詰めが甘いんです。
詰めてないからね。余りが無い。
わかってるんです。
教材研究はしてしすぎることは無いって
教授に言われてたのにね。
教材研究の問題以外のとこも
わかってたんですほんとは。
わかってるのかよ。
って自分でも思う。
本当は全部わかってたのに。
中途半端なんだよ、やってることが。
見た目でカバーしてきたというか
今までハッタリでカバーしてきた悪いとこが
全部実習中に出てしまった。
わかってるのに見えないフリして
最後の最後に「自分がどんな授業したのかわかりません」とかカマトトぶっちゃってみてたあたり
本当に余裕が無かったんだなって今思う。
甘いなぁ。女の子だなぁ。あたしが一番嫌いな人種だなぁ。
「わかんない」って世の中で一番言っちゃいけない言葉だ。
だって、逃げてるもん。
考えてないときだよ、この言葉が出るのは。
考えたくなかったのかな。
予習はするけど復習はしない、
ダメだよね。成長しない。
わかってる。
早々と先生に「成長してほしい」ってコメント書かれてたのは
見抜かれてたのかも、知れない。
つーか多分全部バレてんだあああ
学校の先生ってすごいよね。
いや、あたしがわかりやすすぎるのかもしれない。
単発単発で物事終わらせるの
やめたいんだけど、なぁ。
「そんなプライド捨てちまえ」って中学の時の先生に言われたんだけどなぁ。
変なとこ図太いまんまなんだよなぁ。
反省しねぇんだもん。サイテー。
なんであたしには継続の力がないんだろう?
なんであたしだけ努力を知らないんだろう?
あたしの家族はみんな継続と努力の上に成り立ってる人達なのに。
弟だってそうなんだ。だからあたしは弟のことを本当にすごいと思ってる。
努力って何だろう?
あたしは何やって生きてきたんだろう?
これは自信喪失じゃなくて
平然と考えてるのだけれど。
わかる、からやってこなかったすべてのことが
わかるから書かなかったノートの中身が
きっとあたしには欠けているのだ。
体より先に頭が理解してそれで終わらせてきたすべてのこと
多分それが足りてない。
1を知って10を知った。
その1と10の間があたしには抜けてる。
だから中途半端なのだ。
いつ努力しよう。
いつ取り戻そう。
いつかきっともっと大きな壁にぶつかるって
ずっと前から思ってた。
継続しなかったことのツケが
絶対どこかであたしに回ってくる
あたしの中の「がんばる」は
息を止めて目をつぶって全速力で走る感じ。
それをもっと力抜いてできたら
もっとフツウな子になれるのかもしれない。
「頑張る」って言葉だっきらいだった。
最近はよく使うようになった。
そこ、成長したなって自分で思ってたけど
周りの「頑張る」とあたしの「がんばる」って
何か違うのかもしれない。
みんな目標までコツコツ頑張る。
すごくいい目をして、自分を高めていってる感じがする。
そして自信が生まれて、自分を好きになってくんだろうな。
あたしは頑張れば頑張るほど、自分がわからなくなる。
中学生かよ。
いつまで思春期でいるつもりなんだろう。
多分あたしの「頑張る」は「頑張る」じゃない。
「無理してる」んだ。きっと。だから痛々しいことになるんだ。
無理するのがよくないわけじゃない。人間には必要なことで
自分の許容範囲を広げるのがあたしの趣味みたいなもんだから
無理するのはとても刺激になって好きなんだけれど。
自分の中で「頑張る」と「無理する」を履き違えてると
余計に疲れて、周りに迷惑をかける結果になる。
ということを実習で学んだ。
らしいというのを今こうして書いて気づいた。
やっぱり「思ってるだけ」じゃダメなんだ。
こうして文章にしてみないとあたしはあたしがわからないんだ。
だから書くんだ。ノートも日記も同じこと。
授業中にノートとるのは大事なのだね。
大事だよって生徒にも言ってきたけど
後に形に残るから大事、なだけじゃないんだ。
今かよ。
今気づくのかよ。アホだなー。
あんな未熟な私を教壇に晒してしまったなんて!
生徒に申し訳ないけど申し訳ないなんて言わないんだ!
だってそれは生徒に一番失礼だもの。
授業の内容がどれだけ足りなくても、どれだけ未熟でも、あの時のあたしの全力だったから。
昨日より今日、今日より明日。
これが先生の言ってた「成長」なのだろう。
1秒前の自分を見つめて、「どこ」が悪かったのかきちんと把握すること。
そしてそれを次に活かす事。同じ意味のことを2回くらい日誌に書かれたな。
それを「わかってた」のに、あたし自分の授業振り返りたくなかった。
「悪い」のはハッキリしてたから。甘いなぁ。
しかも凹むからね。「凹まなくてもいいから反省はして」って言われたな。
それもわかってたのだ。この私が凹むなんてことが今までありえただろうか!
なのに実習中は女々しくて女々しくて女々しくて辛かった。
凹むのってあんまり意味はないよね。意思表示としては成り立つけど。でもそれだけ。
周りに「あ、凹んでるな」って伝わるだけ。
わかってたのに何故あんなに凹んでいたのかと言うと
私が自分に甘いからなのです。
本当に凹んだ子はもっと頑張ります。
あたしは違う。周りにすげー甘えてた。だけ。
あああ。
凹むな、って今実習中のあたしに怒鳴りつけてやりたい。
多分先生が一番イラつく点だったと思う。
そんなことでイラつかないだろうけど。
わかってたのにできなかった。
わかってることを体現するのってすごくすごくすごく難しい。
喉まで出かかってるのに出てこない言葉みたいに
全然その時は出てこない。
わかってることを体現すると、自分が変わる。
だってそれが相手に「伝わる」から。
自分の中にひきこもりだった「わかる」を
自分の体で表現することによって相手に見せることができる。
そうして相手に見える自分が変わったということは、本当の意味で
「変わった」ということなのだと思う。
そしてそれが成長なのだろう。
すごく当たり前なことを書いているけれども。
あたしの中の「わかる」を全部引っ張り出して
足なり手なり身なりなりを動かしたい。
「わかる」「わかっている」ということを外に見せなきゃ
「わかっている」ことにならない。
だってあたしは人間だから。
他の人間にわかってもらわないと、私の中の「わかっている」が腐ってしまう。
自分を活かせていない。
人間は他の人間とコミュニケーションをしなくては<自分>が確立されない。
<自分を活かす>とは
自分の中の「わかる」を体現することなのだ。
外に出す、ことなのだ。
伝える、ことなのだ。
だから私は教師になりたいんだと思う。
私は私の中に蓄積した「わかる」を伝える。それはイコール私を活かすということ。
あ、ちょっと飛躍しすぎた。
とにもかくにも、引きこもりな私の中の「わかってる」を引っ張り出して
相手に伝えなくては。見せなくては。
中身が変わったって見せなきゃ意味が無い。
なんて青臭い乱文を書いて少し寝るとします。
文章の最後が尻すぼみになるのはいつ直そうかな。