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海はなんで青いの?
 

今でこそ父は偉大なる私のボディー・ガードだが
小さい頃は恐ろしい警察官のような存在であった。
私が10歳のときに父はなくなったので、その記憶はどうしても4〜5歳の頃のものになってしまう。
4〜5歳というと、人間が一番親にしかられる時期ではないか。
私ももれなく父にしかられていた。
わりと父は女の子の私にも容赦なく鉄拳をくらわす(軽くだが)ので
「ちゃんとした親父の厳しさ」は知っている。
危険ゴミの日がやってくるような割合でシャレにならないくらい怒鳴るし
身長がトーテムポール並み(幼い私目線。ちなみに父は186センチ)なのでそこから睨まれるだけで私は泣いてしまっていた。
しかしそれの1000倍以上の甘さで父は私を包んでいた。
だから私は父が大好きで、父が帰ってくるとわざわざ玄関に出迎えに行ったものだ。しかも走って。
まるでサザエさん一家である。


幼い頃の私はとにかくしゃべらなかった。
近所の友達が扱いに困るほど喋らない子どもだった。
しかも運動神経が泣きそうなほどなかったので(今もだが)
”けんけんぱ”やら、ホッピングやら長縄とび、を皆でしている時
一人で黙ってフラフープをしている子どもだった。
(フラフープだけは得意だった)


しかも弟が生まれる4歳まで一人っ子だったので、一人遊びが上手すぎる子どもになった。
リカちゃんとバービーちゃんとで繰り広げられる独りお人形遊びは、謎の「ダニエル君」を挟んだ、妙にリアルな三角関係をベースとしたもので、そのアテレコに力を注いでいた4、5歳児であった。


当然、親にも天真爛漫に振舞えるはずもなく、欲しいものを欲しいときに「欲しい」と言えずに、後から意味不明にぐずる、だまる、しょげる子どもだった。
それはコンビニや書店でよく起こった。


父や母とお店に行き、両親から離れて一目散に目当てのコーナーに行く。
おもちゃやお菓子、「りぼん」や「なかよし」が並ぶ子供向けコーナーである。
もちろん、欲しいものはたくさんある。山のようにある。そのコーナーに住みたいくらいだ。
しかし、そんな夢の世界も、両親の「なんか欲しいものあったかい?」の言葉で崩壊してしまう。
「なんかあったかい?」とか「もう行くけど欲しいものあるの?」と聞かれると
「ううん。ない。」と言ってしまう子どもだったのだ。表情は豊かなほうではないので、親は気づかずに帰路へ着く。


問題はその帰路へつく車の中で起きた。
なんとも言えず悲しい感情が胸を襲う。欲しかったものが目に浮かぶ。
泣きそうになる。しかしこらえる。
その顔をバックミラーで覗いて「なしたのよ?」と言う父。
「なんか欲しいものあったんじゃないの?」と振り返る母。
「ちがうもん。トイレ行きたいだけ」とポロリと一粒だけ涙を流して嘘をつく私。
「どっか寄るかい?我慢できるかい?」と信じる母。
黙って運転する父。



父は、私が忘れた頃にほしかったものを買ってきてくれる人だった。
「ほれ」と、3日後くらいに「りぼん」を買ってきてくれる。
買ってきてくれる、ということが好きだったのではなく、
「あ、おとうさんは私が何をほしかったかわかってたんだ」という安心感で
胸がいっぱいになる、そういうのが私の父に対する<好き>であった。


意味不明なタイミングで泣く子だった。
我慢して我慢してしばらく経ってから泣き始めるので
周りは理由がわからない。
困惑されるともっと理由を言えなくなる。言いたくなくなる。
あまのじゃくだったのだ。破壊的に。
なんかわかんないけど言えない。言わないとわかってもらえない。もっと悲しくなる。


そんな時に父は「なぁしたのよ〜まりん〜泣くなぁ〜」とただ笑って私の頭をなでた。
ぐしゃぐしゃと撫でた。泣き止むまで抱き上げて膝の上に乗せ
膝を揺らしながら私を笑わせた。そしてくすぐり攻撃だ。
それには私も
「えええん う〜う うえーんうううう・・うう・・・う〜うう〜えーん・・・うっ・・ひっく・・う。うはははっ」

という具合に、笑ってしまうのである。

泣き止むまで
「泣ぁかないのさ〜」とか
「泣くな〜泣いたらお父さんも悲しいから〜」
「泣くなぁ」
と、徹底的に私を甘やかしてくれる父が好きだった。


対照的にあの頃の母は「どしたの!まりんちゃんどしたの!どっか痛いの?痛いなら病院行かなきゃ!」というような原因追求型だったので、まりんちゃんは泣いてしまった些細な理由を最後まで言えないことが多かったのである。


また、父親は私の辞書であった。
「なんで空は青いの?」とか
「空気はどこからくるの?」とか
「この漢字はなんて読むの?」とか
「このことばはどういう意味?」とか
「お父さんはいくつ?」とか
「お母さんはなんさい?」とか
「何で結婚したの?」とか
「キンキキッズって英語なの?どういう意味?」とか
それはもうあらゆることを聞いた。


そのたびにきちんと答えてくれるのがお父さんだった。
年を聞けば「お父さんは34さいだよ」と言って、「34ってどやって書くの?」と聞く私に、
「34」と紙に書いて渡してくれた。「お母さんのはこっち」と言ってそれも書く。
幼稚園の頃だっただろうか。父がいくつのときだったかもあやふやだが、そんな記憶がある。


ドライブをするのが日課だった。
父の取材先に着いていくのが私の役目だったからである。
父の会社の車に乗って、ぼーっと、海岸線を走る。
別にドライブが好きだったわけではない。
「まりん、一緒に行くかい?」と聞かれたら
「うん」としかいえない子だったのだ。


「おとうさん、何で海は青いの?」
「空が青いからでないか?」
「ふーん」
「お父さん、お父さんは海と山どっちがすき?」
「海も山も好きだよ。まりんは?」
「海がいい」
「じゃあ今度海行くか。お母さんと」
「うん」
「海も山も好きだけど、お父さんはまりんのことのほうが好きだな」

父はよく、そういうことを言う人だった。
特に私を慰めるときとかに。


物心のついた6歳の誕生日。
プレゼントのお願いを手紙にしたためておとうさんへ送った。
(小さい頃から両親に手紙を書くのが好きだった)
ご所望の品は、セーラームーンのステックと、シルバニアの大きなお家。
しっかり何度も書いて何度も送ったので、当日は期待十分でケーキのろうそくを吹き消した。
そして手渡されるお父さんからのプレゼントだ。「前からお店に頼んであったんだよ」という父の言葉。
これはもう間違いない!セーラームーンだ!



と思って持った包みがなにやら重い。
ずしりとしている。
何だ何だ?と開けてみる。
あれ?なんか固い。重い。
四角い。

これは本だ。しんじられなかった。
かなり分厚い。
しかも何の本かわからない。
泣きそうになる。でもお父さんがにこにこしているから泣けない。
「ありがとう」と声を振り絞る。
「大事にしなよ」と頭を撫でられる。もう文句は言えない。


セーラームーンはもらえなかった。
シルバニアは高いからあきらめていたけど
セーラームーンにはなれない。
皆持ってるのに。
わたしはセーラームーンに変身できない。
そう思うと涙がこみ上げてきそうになった。


おとうさんに手紙書いたのに。
忘れたのかな?
欲しいものがわからないなんて。
胸の中がぐちゃぐちゃになっていた。

その後に貰った、祖母からのプレゼントなんて上の空だ。
しかも黒と白のシンプルなワンピース。
6歳のわたしは、もっとフリフリで、赤くて、ピンクで、レースがいっぱいついているような服を理想としていた。
だからもう、散々である。
そんな6歳になりたての私を写した写真が、今も実家の仏間に飾られている。



父が亡くなって3年の月日が流れたある日、私は暇になっておもむろに本棚を眺めた。
ずらりと並んでいる、ミッション系の幼稚園から毎月貰っていた絵本は全部読んでしまった。
他の本も、全部読んだ物ばかりである。
唯一、手付かずでピカピカと光る本の塊があった。
その分厚さは相当なもので、それをみただけで敬遠の気持ちが芽生える。
しかもこれはセーラームーンをもらえなかったときのやつだな、と思う。
でもお父さんがくれた本なんだよな、と思い直して、大人になった13歳のまりんちゃんは
ついにその重たい本に手を伸ばす。


タイトルは「ディスニーこども百科事典」
ぺらり、とめくると大きな文字で「なぜ空は青いの?」と書いてある。
ミッキーが子どもたちと空を眺めている。

慌てて目次を開いた。


「なぜ白髪は生えるの?」
「ゴミはどこへいくの?」
「タージマハルってなぁに?」

みんなみんな、私が幼いころ父親に聞いた疑問だった。
父は素朴すぎる疑問をどんどん出てくるシャボン玉のようにぶつけ続ける幼すぎた私に、いつも真正面から答えようとしていたのだ。
私のことを、なによりも考えてくれていたのだ。
セーラームーンなんかよりも。
あの時何度も本屋さんに行ったのは、この本の予約がどうなっているか確かめるためだったのか、と思う。何も買わないで店を出る父の背中を不思議に思いながら何度も追いかけた記憶。


あんなに無鉄砲な質問だらけだったのに。

わたしは泣きながら、すこしものしりになった。
どうして空が青いのか、そのときやっとわかった。
どうして空が青いと海が青いのか、やっとわかった。
お父さんがこれをくれたんだ、と思った。
ほんとうはもっと前から教えてくれていたのに。
わたしは受け取ろうとしなかった。開こうとしなかった。


遅すぎる本当の「ありがとう」だった。
やっとプレゼントを受け取れた気がした。
わたしはばかだった、と思う。
なんてばかなんだろう、と思う。
情けない気持ちになった。
応えてくれていたのに。
応えてあげられなかった。


13歳のわたしは、何でも無鉄砲に人に聞くことをやめた。
本を開けばなんでも教えてくれるいうことを心から知る。
あのときにちゃんと、ものしりになれていたら
もっと「お父さんの好きなまりん」になれていたのに、と今はそんなことばかり思う。


子どもというのは、勝手だ。

なんてひどい後悔なのだろう。


時計の針は戻せない。
だからもう、胸を張って生きるしかないのだ。
あの時の父親の言葉を、聞き逃さないように。
: - : 23:12 : comments(2) :
キティちん。
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evian(水)についてるキティ集めてます。笑
全6種。
: 日常 : 00:21 : comments(1) :
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