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メモ


 今日はマスコミ就職ガイダンスと、一般企業向け就職ガイダンスの2本立てであった。
朝早くから来てくださる講師の方は、みな一様にして素敵な笑顔である。
鏡に映したら、鏡に花が咲き始めるんではないかというくらい
素敵な顔を持っている。私は、毎週行われている各種ガイダンスの開始2分間、「どんな経緯でそんな笑顔になれたのだろう?」と毎回考える。


しかしガイダンスの講師の先生というのは、「講師」が職業というだけあって、饒舌すぎて少々うさんくさい。もしそんなに綺麗過ぎる笑顔でくるくると舌を回す学生が居たら私は面接で落とすことだろう(もしわたしが面接官なら)


講師の先生方はその種類によって雰囲気が変わってくるが
たぶん一番ひとくくりにしていいのはマスコミ関係の講師のひとたちだろうと思う。
去年、授業に来た読売新聞の講師の方もそうだったが
今回来た元読売新聞の現講師の方は
THE記者という出で立ちだった。


どうして男の記者はコキタナイ人が多いのだろう?笑


背がひょろんと高く、髪の毛がもっさりとし、眉を整えて2〜3週間が経過、というような風貌なのだ。
汚 い のではない。コ キ タ ナ イ のだ。しかも愛着を持てるコキタナサなのだ。
今日の朝イチで講義室に立った講師の先生を見て笑ってしまったのはそのせいである。


「そうか、父もコキタナかったよな・・・」と可笑しくて笑ってしまった。
もちろん声はあげてないけど。


スーツが汚いわけではない。シャツがよれているわけでもない。
(とても可愛い水玉のネクタイをしていた)
しかしなぜかコキタナイ。


若干顔が濃く、背が高くて不健康そうで(今回の講師は)きっと女ったらしだな、
というような顔の使い方をしていた。


(話し手の)業種によって、話すときの顔の角度は
かなり違うと思う。比喩ではなく、そのままの意味で。


少しインテリで背の高いSっ気のある自信家の男性は他の人より多い回数、
顔を斜めにして(首を少しかしげて)話す傾向があると思う。
常に、ではない。人に何か訊いている時に。



まぁ、何の統計でも無いからどうでもいいんだけど。
顔の角度のバリエーションって、あんまりなさそうで実は多種多様だと思う。
顔の使い方(表情や角度)が上手い人は人にものを伝えるのが上手い。
(やりすぎると胡散臭い。)


中途半端だけどここでいったんおわろー。
: つぶやき : 00:07 : comments(0) :
夢with you.




 「ちいさくまとまんなよ?」
古いフジテレビのドラマ「チャンス!」の主人公のキメ台詞である。
ストーリーはダサいが三上博史はカッコイイ。
昔のドラマは脚本がピンきりである。
現代のドラマはどれも同じだけど。
昔のドラマは差が激しい。


あたしの夢はきっと
どこ(誰)から見ても失望しない
そんな本(かくれが)をつくること。

緑 空 海 写真 詩 ことば 歌
色 絵 匂い 日常 どれをつかってもいい。


たとえば。
「しあわせになるほうほう」
とか
「つかれたあなたに100のことば」
とか
「がんばりすぎるあなたに」
とかいう本があったとする。

それらは、本当に疲れている人のことを救えるだろうか?


あせらないか?馬鹿にしないか?
おいつめないか?捨てられないか?

しかし

ひねくれていては伝わらない。
結局バイブルというのはストレートな標語の集合体のようになってしまう。


それでは誰も救えない。
まっすぐすぎる言葉は心に留まる時間が短い。
表には裏があるから。

あたしは
ぱっと見たときに
ものには表もあり裏もあり
それでも失望はなく
うつくしいものをうつくしいとしんみり感じられるような
本をつくりたいのである。
どこからみても悲しくあたたかい
裏と表が混在した
素敵な”かくれが”のような本をつくりたい。

今はうまくいえない。
とりあえず浮かんできた綿毛のように。




: - : 20:51 : comments(0) :
どこにもいかない

 (児童生徒)カウンセリング専門の
いかつい男の先生が言った。
「依存は自立の基盤やで」

フシギな言葉だと思った。
世間一般にはその熟語は対になっているものだと思っていた。
たしかに
依存がないところに自立は生まれない。
と、その言葉をかみ締めた。

依存と自信は
依存と自身は
かみひとえ?

でも、なんでもかんでも依存のカテゴリに入れるのは
いくらなんでも乱暴で安易である。


もっと
もっと考えたいことがある。
いそぐな
大丈夫。
きっと
だいじょうぶ。


このぐちゃぐちゃな自分を
いちばん嫌がってるのは自分だ。
自分を、愛さなきゃ。


久しぶりに英語をやりたくなって
2ページにわたる簡単な英文を一字一句逃さずに訳していった。
あいかわらず語順が好きになれない。
先に結論をもってくるのは
美しくないぜ。けど
頭を規則的に動かすことはいいことだ。好きである。
毎日、日本の古典文学ばかりやってげんなりしている脳みそに
鋭いシャンパンをかけるみたいに。
英語に、世界の文化にふれることは
定期的にしなければならないことだ。
日本人は狭い。


それから村上春樹の1Q84のbook3を最初から3分の1程度読んだ。
book2ほどの勢いはない。
というか、まんまと戦略に乗せられて
3冊とも買ってしまっている自分がなんともいえない。
どこにたどり着くんだろう?
どこにも?

まぁいい。
答は自分でつくればいい。


ああ。
かっちりした答えが欲しい。
叱って、導いて欲しい。
なのにこのダイガクはゆるすぎるぜ畜生。
: - : 20:34 : comments(0) :
好き
 
あたしの考え方は、他人に理解してもらうまでに時間がかかるもの
もしくは、永遠に理解されないものがあるらしい。


私は、自分の答えに迷ったことがない。
まだ20年しか生きて無いから、迷った経験がないのだろうとも思うけれど
自分のやりたいことと、できること、できないことをきちんと素直に
好意的に客観的に把握していれば、人生に迷うことは無い。
そういうところは、(私の身体が醸し出す雰囲気はアンニュイかもしれないけれど)誰よりも楽天家である。


最近気づいたことがある。
私の特技は、好きなモノを好きなだけ好きでいること
である。
これは、目標でも心がけていることでも
こうあるべきだということでも、無い。
ただ、こうして生きてきたんだと、最近気づいた。
こうしなければ生きていけないのである。
少々強引な響きで嫌だが、好きなものにはひたむきで
誰より素直だった。そしてこれからもそうだろう。



好きなモノを好きなだけ好きでいること。
そこだけは常に全力であった。
本が好きなときは、授業中に本を読んだ。
本を好きでいるべきだ、と身体が教えるときは
迷わずに本を読んだ。
(そして後に犠牲にしたものの帳尻を合わせることも得意であった)


中学のときの恩師に
天邪鬼だといわれ、アマノさんと呼ばれていた時期がある。
好きだと思ったものを「別にいらないし。」と言ってみたり
自分がやるしかない、他に誰がやる、私にやらせろ、と思うことにも
「えーめんどくさいし。最悪ー」とうそぶいていた。
そんな私を恩師は見抜いていた。見抜かれた私は、驚き、その恩師に対して
全力で好意を抱いた。


解ってくれた、と思っていたのだろうと思う。
だから中学の三年間、私は、もっと解ってもらおう、見てもらおうと必死になった。
勉強もそれなりにした、三年間続けた生徒会活動も何の苦でもなかった。
ただ学校に、私を見て、理解してくれる人がいることだけで
生きることが楽しかった。その恩師が、好きであった。


人間として、その「好き」を恩師だけでなく周りのみんなに教えたかった。
私は先生のおかげで毎日が楽しくて、わかってくれる先生が好きで、
先生を好きでいられる今が好きで、そんな自分が好きだと。

中学2年に進級した日、担任が変わって、下校してから家で泣いた。
その恩師は、1年のときの担任であったから。
私は「もう見てくれないんだ」と思って泣いた。
どうして私は先生のクラスではないんだろう、と、自分にうぬぼれながら泣いた。
2年になりたての4月は、毎日授業が終わると、その先生の教室に行って、
天邪鬼な愚痴を先生にぶつけた。本当は毎日足りないことなんてないのに
不満気なことしか言えなかった。そういう年頃だったのだろうか?


それをそれとなく知った2年の担任は
「何かあったら、k先生(1年のときの担任である)に言ってもいいんだぞ。俺に言い難かったら」
とある日私に真顔でそう言った。これは失礼な、とてもまずいことをした、と瞬間的に思った。
私はあまりにも子どもだった、と反省し、今の担任の先生を好きになろう、好きになれる、と思った。

人を好きになるのは簡単である。好きになれる、と思えばいいのである。
ひとつ、人間らしいところをその人からみつければ、たいていの人は好きになれる。
俺でダメならどんどん、前の担任の先生に言えばいい、と言ってくれた
その先生も、今では大切な恩師である。


私は、人を好きになることで動く。
好きだ、と思うと何でもできる気がする。
私が教員免許にこだわるのも、今まで出会った先生たちが
みんな魅力的で、私に多くを教えてくれたから。
なりたかった。憧れだ。

私が先生を好きで生活が楽しかったように、
私も好かれる先生になって、先生を好きでいることの充実を
これから学ぶ子どもたちに教えたいと思っていた。
好きでいることは、何よりも強く、みずみずしい輝きを自分に与えてくれる。



人を好きになること。
それだけを、私はやめない。
好きなモノを好きなだけ好きでいること。
それができる私は、恵まれている。
この恵みを、私は人を好きになり、おしえたい。


ずいぶんずうずうしい、ことだけれど。
恵まれている人間は、恵まれているなりに
恵まれているべきなのだとも、思う。
誤解をまねくような書き方だけれど。

変わらないのは
できることをできるだけそれぞれにやって生きていく
ということだと思う。
: - : 14:11 : comments(1) :
ベッドの上



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: 携帯から : 16:46 : comments(0) :
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