たくさんの方々のお力を貸していただき
再び、花を咲かせることができました。
咲かせ続けることを許していただきました。
本当に、本当にありがとうございます。
当確が出るまでの数時間
不安すぎてどう夜逃げようかと血迷ってました。笑
今回は(今回も)まったく力になれずにいたので
ふがいなさMAXのお嬢様やってました。
申し訳程度に投票してみました。いぇい。
初めて母親に票を入れることができた21歳です。いぇい。
ちょっとよかった。
やっとみなさんの票の中に混ざることができました。
ウチの母は。
エプロンの似合うお花の好きな泣き虫のおかあさんでした。
いつも食卓には摘んできた花が飾られていました。
お父さんとケンカするたびに荷物詰めながら「実家帰る!」って言いながら泣いてたり
お父さんの帰りが遅いと「お父さんどこ行ったんだろう」とソワソワする
そんなおかあさんでした。
それから何年かして、お父さんが体を壊して、お母さんは毎日病院に寝泊りしながら看病しはじめて
私と顔を合わす時間が少し減ってしまっている間
きっと母は強くなったんだろうと思います。
私の知らない父と母の壮絶な5年間があります。
母として、妻として、働きながら看病を続けたその5年間は、子どもの私でも想像がつきません。
5年間の闘病の末、父は他界しました。
その更に数年後、母は政治家として名乗りをあげます。
その間にどんな決断があったのか、どんな思いがあったのか
どんな経験があったのかは計り知れませんが
周りであたたかく応援して下さった方たちの応援や、ひと押しが一番の力になったであろうことは確かです。
母のもうひとつの才能を見出して、支えて、応援してくださった方に心より感謝致します。
母は政治家になる前、留萌支庁で非常勤職員として男女共同参画社会推進委員なるものをやっていたのですが、「女性にお茶汲み、コピー取りなんかさせるな!きちんとした仕事を与えろ!」
とか言っちゃうような、バリバリのキャリアウーマンとは違う考え方を持っています。
私もそれには驚いたのですが。母と話していて最近気づきました。
「お茶汲みはするべきなのさ」と母は言います。
それは、社会人、人間としてのステップアップの一歩でもあるし、何よりお茶汲みは会社の顔にもなりえます。
社会人になってしばらくは、与えられた仕事を終わらせた後、お茶汲みやトイレ掃除ばかりしていた母。そこから頑張りを認められて・・・とサクセスストーリーは始まります。
(母の職歴は村山ゆかりHPにて)
母の話を聞いて勝手に考えてみたのですが
「女らしさ」を大事にすることが男女平等をもっと自然なものにするために必要なのではないかと。
「女らしさ」で勝負することも大事なのではないかと。
ただ単に牙をむいて、男性と肩を並べようとすると、元ある「女らしさ」の良さが見えにくくなってしまう。
女は女なりの参画の仕方があるのではないかと。
女として、というか女「だけど」認めてもらえれば、社会はもっとはっぴーかもしれませんね。
伝わるだろうかこのニュアンス。女がいち人間として認められるんじゃなく
女は女でありながら認められないと、男女平等でないと思うんです。
だって女がもっと強くなったり男みたいにならないと認められないなんて、不平等じゃない?
・・・なんて理想論を言ってますが。実情をしらないガキの独り言だと思って読み流してください。
話がそれましたが、母のこと1篇。
母は私に”こうしなさい”と言ったことは一度もありません。
「勉強したほうがいいんじゃない?」とか「早く寝た方がいいよ」とか
いつも提案ばかりです。
しかし私もきちんと反抗期を経て成人しましたので
「クソババア」だの「どっか行けや」だの母に様々な罵声を飛ばした時期もありました。
が、母は「クソガキ」だの「生意気な口聞いてんじゃねぇ」だのとは言いませんでした。
受験期間でさえも「勉強しろ」とは言いませんでした。「勉強したほうがいいと思うよ」
とは言われましたが。(笑)「勉強したほうがいい」まあ、確かに。と、思うよね。(笑)
勉強しろ、と言われるより、「勉強したら?」とやんわり言われるほうが
私にとっては強烈に響いたので、反抗はしませんでした。
勉強したかどうかは別として。
ある日小学生のまりんちゃんは何か欲しいのもがあったのか
やりたいことがあったのかわかりませんが
とにかくダダをこねたことがありました。
何がしたくて、何がほしくてダダをこねたか覚えていませんが
「普通になりたいんだもん!」と母に向かって叫んだことがあります。
(多分、他の子の持っているものと同じものがほしいとか、みんな持ってるから買ってほしい、とかそういうことだったと思います)
すると母がすごい剣幕で「普通になんてなるんじゃない!」と怒鳴りました。
私はそれまで、母がそこまで怒るのを見たことが無かったのでキョトンとしてしまい、
それ以来「普通」にこだわることをやめました。
普通になるな、とは
異端でいろ、とか特別でいろ、という意味ではないことはわかっています。
でもその言葉の響きが強烈過ぎて、響きだけがいつも頭の中に残り
まりんちゃんはちょっとだけ変な子になってしまったかもしれません。
普通になるな。母がくれた数多くの言葉のひとつです。
普通でいることが大切な場面もあります。
普通=常識的という捉え方なら。
でも、「普通」でいることが逃げになることもあります。
「普通でいいや」みたいなノリね。
母はそういう逃げをするな、と教えてくれたのかもしれません。
しかしそれ以来母は怒ったことがありません。
母があんまり怒らないので、私が悪さをした時になんだか悲しくなって
「なんで怒らないのさ?」と逆切れをかましたことがありました。
そうしたら母は「まりんのこと信じてるからさ」と一言、そう言ったのです。
そしたらもっと悲しくなって、私はたくさん泣きました。
「信じること」を母はやめません。
本当に大事なとき、母は私に「信じてるから。」と言うことがあります。
その言葉の重みを背負って私は生きている気がします。
信じることは尊いことです。生半可な気持ちと根性じゃ「信じる」なんてできません。
普通の人は信じる前に逃げ道を作ります。
裏切られても平気な顔ができるように。
でも母は、それをまったくしようともしません。
母は、相変わらずそこにいて、「信じて」います。
とても畏れの多い力だと思っています。
母は基本的にすべてを肯定します。
母は徹底的に「信じ」ます。
どんなに風が吹いても、時間が経っても。
だから私はこんなに強くなれました。
根拠のない自信にあふれています。
それは、いつも変わらずに母という人の柔軟な肯定と信頼が待っていてくれるからだと思います。
太陽のような強さと絶対的な信じる力を胸に母はまた、歩き出しました。
雨の日は、少し手を貸してやってください。
雲に隠れても、何年経っても、母は変わりません。
不変であることの強さと尊さは
優しさとなって、人を安心させることができるんじゃないかと思います。
そんな母を、これからもよろしくお願い致します。