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: つぶやき : 00:25 : comments(1) :
クルミを割れた日
 

背中から 学んだのは

誠実に

 生きること。

今 正しいと思うことをやること。


言われたのは

努力から 

逃げないこと。

「逃げない」こと




誠実、って

嘘つかない って意味じゃないんだね。

国語の教員になりたいのに初めて引いた、「誠実」。


先生は、高い人だなぁ。

そう、「誠実」なのです。

「誠実」の前で
あたしの「取り繕い」はあまりにも無力で


自信がないんじゃなくて
自分が恥ずかしかったんだと思う。
これが自分である、ということから逃げたかった。


真正面から自分を見るというのは
なかなかない作業だったから。
そして「自分」をあんなに長い間
大勢の人に全力で「開いて」「指導」してもらうという機会が
今までなかったから
考えても考えても終わりがないのです。


最近はいつも
逃げたいな って思うとき
まぁいっか って思うとき
「努力から逃げない」 って頭で復唱する。
同じ過ちを繰り返さないように。





誠実に

生きること


努力から

逃げないこと。


よし、決まり。


: つぶやき : 21:56 : comments(0) :
いやだああああ
 ケツ叩かれないとデキない私のこと。
嫌いです。ほんとにだっきらいなんです。
なんでやるべきときにできないんでしょう。
わかっててやらないからね。最悪だ。
ギリギリアウトラインを踏んでから力出したって
努力には勝てないってのに。
私の本気はいつ出るんだろう。
実習中だってもっとできた、もっとできたはずなのに。
いつ私は自分のことが愛せるようになるんでしょう。
褒められて悩む生徒がどこにいんだよ。
あたしは生徒じゃないけどさ。
異常に扱いにくい実習生だったと思います(笑)。
支離滅裂だな。
つまりは単純に、あたしが素直じゃないってことです。
そのくせにへんなとこ天然みたいにすっぽ抜けるしね。
予測不能すぎる。
「できそうに見える」らしいからまた困る。
かけられた期待をコントみたいに裏切るのが得意すぎる。
くそっ。詰めが甘いんです。
そう、詰めが甘いんです。
詰めてないからね。余りが無い。
わかってるんです。
教材研究はしてしすぎることは無いって
教授に言われてたのにね。
教材研究の問題以外のとこも
わかってたんですほんとは。


わかってるのかよ。
って自分でも思う。
本当は全部わかってたのに。
中途半端なんだよ、やってることが。
見た目でカバーしてきたというか
今までハッタリでカバーしてきた悪いとこが
全部実習中に出てしまった。


わかってるのに見えないフリして
最後の最後に「自分がどんな授業したのかわかりません」とかカマトトぶっちゃってみてたあたり
本当に余裕が無かったんだなって今思う。
甘いなぁ。女の子だなぁ。あたしが一番嫌いな人種だなぁ。
「わかんない」って世の中で一番言っちゃいけない言葉だ。
だって、逃げてるもん。
考えてないときだよ、この言葉が出るのは。
考えたくなかったのかな。
予習はするけど復習はしない、
ダメだよね。成長しない。
わかってる。
早々と先生に「成長してほしい」ってコメント書かれてたのは
見抜かれてたのかも、知れない。
つーか多分全部バレてんだあああ
学校の先生ってすごいよね。
いや、あたしがわかりやすすぎるのかもしれない。
単発単発で物事終わらせるの
やめたいんだけど、なぁ。
「そんなプライド捨てちまえ」って中学の時の先生に言われたんだけどなぁ。
変なとこ図太いまんまなんだよなぁ。
反省しねぇんだもん。サイテー。


なんであたしには継続の力がないんだろう?
なんであたしだけ努力を知らないんだろう?
あたしの家族はみんな継続と努力の上に成り立ってる人達なのに。
弟だってそうなんだ。だからあたしは弟のことを本当にすごいと思ってる。
努力って何だろう?
あたしは何やって生きてきたんだろう?

これは自信喪失じゃなくて
平然と考えてるのだけれど。


わかる、からやってこなかったすべてのことが
わかるから書かなかったノートの中身が
きっとあたしには欠けているのだ。
体より先に頭が理解してそれで終わらせてきたすべてのこと
多分それが足りてない。
1を知って10を知った。
その1と10の間があたしには抜けてる。
だから中途半端なのだ。


いつ努力しよう。
いつ取り戻そう。
いつかきっともっと大きな壁にぶつかるって
ずっと前から思ってた。
継続しなかったことのツケが
絶対どこかであたしに回ってくる



あたしの中の「がんばる」は
息を止めて目をつぶって全速力で走る感じ。
それをもっと力抜いてできたら
もっとフツウな子になれるのかもしれない。


「頑張る」って言葉だっきらいだった。
最近はよく使うようになった。
そこ、成長したなって自分で思ってたけど
周りの「頑張る」とあたしの「がんばる」って
何か違うのかもしれない。
みんな目標までコツコツ頑張る。
すごくいい目をして、自分を高めていってる感じがする。
そして自信が生まれて、自分を好きになってくんだろうな。
あたしは頑張れば頑張るほど、自分がわからなくなる。


中学生かよ。


いつまで思春期でいるつもりなんだろう。
多分あたしの「頑張る」は「頑張る」じゃない。
「無理してる」んだ。きっと。だから痛々しいことになるんだ。
無理するのがよくないわけじゃない。人間には必要なことで
自分の許容範囲を広げるのがあたしの趣味みたいなもんだから
無理するのはとても刺激になって好きなんだけれど。

自分の中で「頑張る」と「無理する」を履き違えてると
余計に疲れて、周りに迷惑をかける結果になる。


ということを実習で学んだ。
らしいというのを今こうして書いて気づいた。
やっぱり「思ってるだけ」じゃダメなんだ。
こうして文章にしてみないとあたしはあたしがわからないんだ。
だから書くんだ。ノートも日記も同じこと。
授業中にノートとるのは大事なのだね。
大事だよって生徒にも言ってきたけど
後に形に残るから大事、なだけじゃないんだ。


今かよ。


今気づくのかよ。アホだなー。
あんな未熟な私を教壇に晒してしまったなんて!
生徒に申し訳ないけど申し訳ないなんて言わないんだ!
だってそれは生徒に一番失礼だもの。
授業の内容がどれだけ足りなくても、どれだけ未熟でも、あの時のあたしの全力だったから。



昨日より今日、今日より明日。
これが先生の言ってた「成長」なのだろう。
1秒前の自分を見つめて、「どこ」が悪かったのかきちんと把握すること。
そしてそれを次に活かす事。同じ意味のことを2回くらい日誌に書かれたな。
それを「わかってた」のに、あたし自分の授業振り返りたくなかった。
「悪い」のはハッキリしてたから。甘いなぁ。

しかも凹むからね。「凹まなくてもいいから反省はして」って言われたな。
それもわかってたのだ。この私が凹むなんてことが今までありえただろうか!
なのに実習中は女々しくて女々しくて女々しくて辛かった。
凹むのってあんまり意味はないよね。意思表示としては成り立つけど。でもそれだけ。
周りに「あ、凹んでるな」って伝わるだけ。


わかってたのに何故あんなに凹んでいたのかと言うと
私が自分に甘いからなのです。

本当に凹んだ子はもっと頑張ります。
あたしは違う。周りにすげー甘えてた。だけ。

あああ。

凹むな、って今実習中のあたしに怒鳴りつけてやりたい。
多分先生が一番イラつく点だったと思う。
そんなことでイラつかないだろうけど。


わかってたのにできなかった。
わかってることを体現するのってすごくすごくすごく難しい。
喉まで出かかってるのに出てこない言葉みたいに
全然その時は出てこない。


わかってることを体現すると、自分が変わる。
だってそれが相手に「伝わる」から。
自分の中にひきこもりだった「わかる」を
自分の体で表現することによって相手に見せることができる。
そうして相手に見える自分が変わったということは、本当の意味で
「変わった」ということなのだと思う。
そしてそれが成長なのだろう。
すごく当たり前なことを書いているけれども。


あたしの中の「わかる」を全部引っ張り出して
足なり手なり身なりなりを動かしたい。
「わかる」「わかっている」ということを外に見せなきゃ
「わかっている」ことにならない。
だってあたしは人間だから。
他の人間にわかってもらわないと、私の中の「わかっている」が腐ってしまう。
自分を活かせていない。
人間は他の人間とコミュニケーションをしなくては<自分>が確立されない。


<自分を活かす>とは
自分の中の「わかる」を体現することなのだ。
外に出す、ことなのだ。
伝える、ことなのだ。
だから私は教師になりたいんだと思う。
私は私の中に蓄積した「わかる」を伝える。それはイコール私を活かすということ。
あ、ちょっと飛躍しすぎた。

とにもかくにも、引きこもりな私の中の「わかってる」を引っ張り出して
相手に伝えなくては。見せなくては。
中身が変わったって見せなきゃ意味が無い。



なんて青臭い乱文を書いて少し寝るとします。
文章の最後が尻すぼみになるのはいつ直そうかな。






: つぶやき : 03:18 : comments(0) :
マル秘
 

ねみぃ。

ひとつわかったことがある。

あたしの日本語にはかなり問題がある。

(笑)




ところで、。

あ、眠いからヤメよ。
: つぶやき : 23:18 : comments(0) :
今のところ、藍は藍である



空は空のまま そこに在り
青は青のまま 僕を囲い

両手は分厚く ここに在り
叱る声は 水に流る

きっと あの笑う声は 僕のためではなく 
いつか笑う ちいさな太陽たちのためのもの

私も笑う
だから ずっとそこにありますように

7割の全力と
3割に全力の私

その差が 地球を回しているような
空回る私が生む荒熱と。

ああ 天高く 空はあつい
地球の地軸はまっすぐだ。
地球の地軸はまっすぐだ。
: つぶやき : 22:53 : comments(0) :
悟る
 



なんも言わねぇ






ああ、父親もそうだった。



父親がいたら私はきっと、もっと素直に育っていただろうと思っていたけど
そうじゃあ無い。
父親がいてもいなくても、多分私は今の私でいた。
なぜなら彼は





: つぶやき : 22:40 : comments(0) :
ねむいや
 
あーゴミ捨て忘れた。う。

そうだ。誰だ「箭内道彦 ウザイ」で検索してこのブログにたどり着いたやつ(笑)
面白いなぁ。確かに箭内さんはウザイ。かもしれない。
でも箭内さんの持っているウザさって、生きてく上で大切なウザさだと思うんだ。
なんか。消費者でしかない私から見てるから思うのであって、もっと色々あるんだろうけど。
箭内さんの持ってるウザさって、今の若者に必要かも、とか思う。
うん。すり抜けちゃいけないんだ。

ウザければウザイほど凄い 人っているじゃない。
なんか、あるじゃん一種の、なんかすげーな、ってウザさ。必要なウザさ。
尊いやつ。
うん、それ。あたしにとっての箭内さんのウザさ。
しかも広告なら、ウザくて丁度いいんじゃね?
なんて思うのです。

あ、別に擁護しているワケではなくて。
彼のもつウザさ、私もわかるよって言いたくって。
書いてみました。した。

箭内さんの作品は「箭内さんっぽい」のがない。
前にも書いたな。それがすごいと思ってて。
固定した「箭内イメージ」がない。「箭内さんって、こういう広告つくるよね!(するよね!)」ってのがない。
でも、たまにべったべたな<広告>を作る。
「わかりやすさ」「繰り返し」を使って私たちに届ける。
その基本をしっかりおさえてる感がイイ。エラソーに言うけど。
そういう点もある種のウザさかもしれない。ない。


拙すぎる日本語でお送りしております今夜の人間ブログ。
今日ご紹介するのは、玉裕一さんです。
映像ディレクターさんです。

しゅるん、するする、ほわっ、きゅっ、キラッ
って感じの映像をつくるひと。映像でかわいい!をつくらせたら多分日本一。
彼自身もすごく可愛い人で、以前NHKのトップランナーに出てたときも
そのあふれる無邪気さがパーン!っと炸裂してました。
んで、彼の可愛さは にこーっ! って感じ。
しめりっけのない可愛さがあります。それすごい。

そんな彼の作品の中で一番あたしが「ぎゅっ」ってなっちゃったのがこれ。

サカナクション イティブダンサー











このPVね、まりんちゃんに新しい風吹かせた。
もうびっくりした。ああ、好きだ、と思った。
すごく「ぎゅっ」とした。「はっ」とした。
言葉に表せないものなんてないと思ってたのに
この映像は文章にできないかも、と初めて思った。
感服です。
すごくキラキラしてる。
涼しい夜だ。いとおしい夜だ。


こんな感じで、今日はここまで





: つぶやき : 01:28 : comments(0) :
しょっぱいもの
 
私はあまり食べ物にこだわりが無い。
今日の夕飯も、冷凍ピザと春雨スープだった。
結婚できなさそうなオーラだけが食卓を彩る。

やればできるのにやらない、というのはもしかしたら軽蔑されちゃうくらいの
良く無い傾向だが、あたしは典型的な「できるのにやらない」タイプである。
そういうことを書くから余計そうなるんじゃない?とお思いかもしれないが、
基本的に消化できたことしか文章にしないので(できないので)
書いたことは一切が過去になる。だからあたしは書いたほうがいいのだ。

それで、食べ物の話を続けることとする。


私の好きな食べ物は、あまじょっぱいものである。
あまじょぺー!って中学生の恋愛みたい。
ああ、そういうのも好きだけど。
あたしはあまじょっぱいものが好きである。


たとえば・・・どて煮。彼はとてもあまじょっぱい。(モツ煮込みでもいい。)
たとえば…ロイズのチョコチップス。(ギザギザのポテチにチョコのコーティング。)
とにかく甘くてしょっぱいものがすきなのだ。


だから変な組み合わせで食べ物を食べる。
ピザにヨーグルトをつけて食べる。
チーズケーキを食べた後には黄色いたくあんを食べたい。
居酒屋に行った時の最後のデザートは牛のたたきである。
大福を食ったら塩のきいた鮭が食べたくなる。そして食べる。


女の子は食事のラストに甘いものを頼むのを楽しみにしている子が本当に多い。
「えーっ、ポテトも頼みたいけど最後にデザート食べたいんだよなぁ」
なんて言いながらデザートを優先する。
あたしはどちらかというとしょっぱいもので〆たいので
最後にえだまめとかを頼む。謎。


謎。わかっている。
ある居酒屋に女の子と行った時、最後に牛のたたきを頼んだら
イケメンのおにいさんに「えっ?」って聞き返された。
連れの女の子は普通にデザートを頼んでいたからである。
いいじゃんか、デザートに牛のたたき。


居酒屋に行った時の私的三大帝王は
まぐろのユッケ(またはカツオのユッケ)
モツ煮込み
牛のたたき である。
これにえだまめを入れて四天王だ。
これらを与えておけばまりんちゃんは平穏無事である。
あとお酒は梅ぼしサワーが好きである。
梅サワーでもなく、梅酒サワーでもなく、梅酒でもなく

梅干 サワー。

焼酎を炭酸で割ったものに、梅干がごろんと(もしくはつぶれて)入ってるやつ。
シンプルなのがいい。たまに梅酒じみた味のついたものが出てくるけど
それじゃ嫌だ。梅干をつぶすのが好きなので(飲みに行くとなにかしら手を動かしている)
ごろんと入っていてくれたほうがいい。


あれ?こう書くとしょっぱいものが好きみたいだなあ。
いや、しょっぱいもののほうが断然好きだ。甘いものはしょっぱいものの間に
挟まれてるとすごくイイ、という話にしよう。うん。


毎日何か一品を食べ続けろと言われたらたこ焼きかグラタンがいい。
たこ焼きは関西圏で売ってるやつ。グラタンは冷めて無いヤツならなんでもいいや。


今日も支離滅裂だなぁ。


最後にひとつ。
年代によって、居酒屋で頼む鉄板メニューは違う気がする。
私の周りは必ず鳥の軟骨のからあげを頼むのだが
この間見かけたサラリーマンの集団(多分40代)は慣れた口調でメニューも見ず
「えだまめと、ナスの一本漬け」と言って店員さんを困らせていた。
「ナスの一本漬けはございませんが、他の漬物なら・・・」と。

居酒屋で漬物を必ず頼むのは、30代以上ではないだろうか。


何故こんな仮説を立てたかというと、
ウチの母も居酒屋に行くと、「いつもの。」みたいなあのノリで、メニューにありもしないナスの一本漬けや漬物の盛り合わせを必ず頼むからである。


漬物くらい家で食えよ、と不思議に思っていたのだが、これは年代によるものなのかもしれない。
: つぶやき : 23:41 : comments(1) :
太陽のひと*
 
たくさんの方々のお力を貸していただき
再び、花を咲かせることができました。

咲かせ続けることを許していただきました。
本当に、本当にありがとうございます。

当確が出るまでの数時間
不安すぎてどう夜逃げようかと血迷ってました。笑

今回は(今回も)まったく力になれずにいたので
ふがいなさMAXのお嬢様やってました。
申し訳程度に投票してみました。いぇい。
初めて母親に票を入れることができた21歳です。いぇい。
ちょっとよかった。
やっとみなさんの票の中に混ざることができました。


ウチの母は。
エプロンの似合うお花の好きな泣き虫のおかあさんでした。
いつも食卓には摘んできた花が飾られていました。
お父さんとケンカするたびに荷物詰めながら「実家帰る!」って言いながら泣いてたり
お父さんの帰りが遅いと「お父さんどこ行ったんだろう」とソワソワする
そんなおかあさんでした。


それから何年かして、お父さんが体を壊して、お母さんは毎日病院に寝泊りしながら看病しはじめて
私と顔を合わす時間が少し減ってしまっている間
きっと母は強くなったんだろうと思います。
私の知らない父と母の壮絶な5年間があります。
母として、妻として、働きながら看病を続けたその5年間は、子どもの私でも想像がつきません。


5年間の闘病の末、父は他界しました。
その更に数年後、母は政治家として名乗りをあげます。
その間にどんな決断があったのか、どんな思いがあったのか
どんな経験があったのかは計り知れませんが
周りであたたかく応援して下さった方たちの応援や、ひと押しが一番の力になったであろうことは確かです。
母のもうひとつの才能を見出して、支えて、応援してくださった方に心より感謝致します。

母は政治家になる前、留萌支庁で非常勤職員として男女共同参画社会推進委員なるものをやっていたのですが、「女性にお茶汲み、コピー取りなんかさせるな!きちんとした仕事を与えろ!」
とか言っちゃうような、バリバリのキャリアウーマンとは違う考え方を持っています。

私もそれには驚いたのですが。母と話していて最近気づきました。
「お茶汲みはするべきなのさ」と母は言います。
それは、社会人、人間としてのステップアップの一歩でもあるし、何よりお茶汲みは会社の顔にもなりえます。
社会人になってしばらくは、与えられた仕事を終わらせた後、お茶汲みやトイレ掃除ばかりしていた母。そこから頑張りを認められて・・・とサクセスストーリーは始まります。
(母の職歴は村山ゆかりHPにて)



母の話を聞いて勝手に考えてみたのですが
「女らしさ」を大事にすることが男女平等をもっと自然なものにするために必要なのではないかと。
「女らしさ」で勝負することも大事なのではないかと。
ただ単に牙をむいて、男性と肩を並べようとすると、元ある「女らしさ」の良さが見えにくくなってしまう。
女は女なりの参画の仕方があるのではないかと。
女として、というか女「だけど」認めてもらえれば、社会はもっとはっぴーかもしれませんね。
伝わるだろうかこのニュアンス。女がいち人間として認められるんじゃなく
女は女でありながら認められないと、男女平等でないと思うんです。
だって女がもっと強くなったり男みたいにならないと認められないなんて、不平等じゃない?
・・・なんて理想論を言ってますが。実情をしらないガキの独り言だと思って読み流してください。


話がそれましたが、母のこと1篇。

母は私に”こうしなさい”と言ったことは一度もありません。
「勉強したほうがいいんじゃない?」とか「早く寝た方がいいよ」とか
いつも提案ばかりです。

しかし私もきちんと反抗期を経て成人しましたので
「クソババア」だの「どっか行けや」だの母に様々な罵声を飛ばした時期もありました。
が、母は「クソガキ」だの「生意気な口聞いてんじゃねぇ」だのとは言いませんでした。
受験期間でさえも「勉強しろ」とは言いませんでした。「勉強したほうがいいと思うよ」
とは言われましたが。(笑)「勉強したほうがいい」まあ、確かに。と、思うよね。(笑)

勉強しろ、と言われるより、「勉強したら?」とやんわり言われるほうが
私にとっては強烈に響いたので、反抗はしませんでした。
勉強したかどうかは別として。


ある日小学生のまりんちゃんは何か欲しいのもがあったのか
やりたいことがあったのかわかりませんが
とにかくダダをこねたことがありました。
何がしたくて、何がほしくてダダをこねたか覚えていませんが
「普通になりたいんだもん!」と母に向かって叫んだことがあります。
(多分、他の子の持っているものと同じものがほしいとか、みんな持ってるから買ってほしい、とかそういうことだったと思います)
すると母がすごい剣幕で「普通になんてなるんじゃない!」と怒鳴りました。
私はそれまで、母がそこまで怒るのを見たことが無かったのでキョトンとしてしまい、
それ以来「普通」にこだわることをやめました。


普通になるな、とは
異端でいろ、とか特別でいろ、という意味ではないことはわかっています。
でもその言葉の響きが強烈過ぎて、響きだけがいつも頭の中に残り
まりんちゃんはちょっとだけ変な子になってしまったかもしれません。
普通になるな。母がくれた数多くの言葉のひとつです。


普通でいることが大切な場面もあります。
普通=常識的という捉え方なら。
でも、「普通」でいることが逃げになることもあります。
「普通でいいや」みたいなノリね。
母はそういう逃げをするな、と教えてくれたのかもしれません。


しかしそれ以来母は怒ったことがありません。
母があんまり怒らないので、私が悪さをした時になんだか悲しくなって
「なんで怒らないのさ?」と逆切れをかましたことがありました。
そうしたら母は「まりんのこと信じてるからさ」と一言、そう言ったのです。
そしたらもっと悲しくなって、私はたくさん泣きました。


「信じること」を母はやめません。
本当に大事なとき、母は私に「信じてるから。」と言うことがあります。
その言葉の重みを背負って私は生きている気がします。
信じることは尊いことです。生半可な気持ちと根性じゃ「信じる」なんてできません。
普通の人は信じる前に逃げ道を作ります。
裏切られても平気な顔ができるように。
でも母は、それをまったくしようともしません。
母は、相変わらずそこにいて、「信じて」います。
とても畏れの多い力だと思っています。


母は基本的にすべてを肯定します。
母は徹底的に「信じ」ます。
どんなに風が吹いても、時間が経っても。
だから私はこんなに強くなれました。
根拠のない自信にあふれています。
それは、いつも変わらずに母という人の柔軟な肯定と信頼が待っていてくれるからだと思います。



太陽のような強さと絶対的な信じる力を胸に母はまた、歩き出しました。
雨の日は、少し手を貸してやってください。
雲に隠れても、何年経っても、母は変わりません。
不変であることの強さと尊さは
優しさとなって、人を安心させることができるんじゃないかと思います。

そんな母を、これからもよろしくお願い致します。


: つぶやき : 17:26 : comments(0) :
癒し.
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ツカレタトキハ
ムカイリ!

オッサーム!オッサーム!
: つぶやき : 23:42 : comments(0) :
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